元禄
荒事を生み、江戸に「團十郎」を立てる
- 生没年:
- 1660–1704-02-19
- 團十郎を名乗った期間:
- 1673–1704-02-19
元禄期の江戸で、人形芝居の金平浄瑠璃などから着想を得て、荒々しい武者の演技を「悪を討つ正義の主人公」の型へまとめ上げたとされる。神が現れて荒ぶる演出を伴うこの荒事が、以後の市川家の家の芸となった。舞台に出演中に刺され、四十五歳で没している。
同じ頃、世の中では
- 1688–1704日本社会
元禄の都市と町人文化
江戸や上方で大都市が形成され、文芸・美術・工芸・音楽に新しい波が起こった。歌舞伎もこの流れのなかで大きく発展したと日本芸術文化振興会は記す。
- 1688–1704芸と演目
上方では和事と女方の芸が定まる
荒事と同じ元禄年間、京・大坂では初代坂田藤十郎が写実的な演技で和事の人気を得、初代芳沢あやめが女方の芸を確立したとされる。
- 1688–1704芸と演目
人形浄瑠璃の作品が歌舞伎へ
近松門左衛門らによって人形浄瑠璃が大きく発展し、構成力に優れたその作品を歌舞伎でも演じることが始まった。時代物・世話物という呼び分けもこの頃に生まれている。
時代との接点
- 1685芸と演目
流行の人形芝居から荒事へ
成田屋公式は、荒事の創始とされる『金平六条通』について、当時江戸で人気を集めていた金平浄瑠璃からヒントを得たと伝えられると記す。
- —日本社会
成田不動への祈願と屋号「成田屋」
成田屋公式は、初代が成田不動に願をかけて二代目をもうけたというほど両者の因縁は浅くないとし、屋号の成田屋もこれに由来すると記す。歴代團十郎の襲名では今も成田山新勝寺でお練りが行われる。
- 1693日本社会
上方への進出と俳諧入門
元禄六年(1693)の暮れ、両親妻子を伴って京へ上るが、当時の京都人の気風に合わず評判はかんばしくなかったと成田屋公式は記す。在京は約一年。この上京を機に椎本才麿へ入門し、俳名を才牛とした。